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何かありますね

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2014年10月 3日(金)18時55分18秒
  第三者委員会のメンバーを見て驚きました。
北岡伸一が入っているのを見て正直驚きましたね。
これは裏に何かありますね。
朝日の全面降伏じゃないですか、これは。
来年7月9日から日本は変わります。
それの一つの兆候かな。
いや結果か。
安倍さんは東大には入れなかったけど政治家として一流ですな。
すごいの一言です。

2014年10月03日15:06

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朝日新聞の第三者委員会のためのアジェンダ


朝日新聞の慰安婦報道についての第三者委員会のメンバーが決まった。委員長が元名古屋高裁長官の中込秀樹氏、委員が外交評論家の岡本行夫氏、国際大学学長の北岡伸一氏、ジャーナリストの田原総一朗氏、筑波大学名誉教授の波多野澄雄氏、東京大学大学院情報学環教授の林香里氏、ノンフィクション作家の保阪正康氏の計7名だ。

注目されるのは、外交の専門家が3人(岡本・北岡・波多野)も入っていることだ。それも岡本氏は外務省OBで、北岡氏は安倍首相のブレーンとして集団的自衛権をまとめた、朝日の天敵である。外交のプロなら、コアの問題が請求権であることは理解しているだろう。

「朝日文化人」がいないことも特徴だ。しいてあげれば保阪氏が朝日の立場に理解を示しているが、彼も強制連行がなかったという認識は同じだ。他にも秦郁彦氏などが準メンバーだから、常識的な線でまとまるだろう。先日の記事でも書いたように、まず次の3点の検証が必要だ。?検証記事では「強制連行」について曖昧な記述をしているが、記者会見で杉浦編集担当は「強制連行はなかった」と認めた。この事実関係を明確にし、訂正すること。


?1991年8月の植村記者の記事には捏造の疑いが強く、当時のソウル支局長(小田川興氏)が大阪社会部にスクープを提供することもありえない。この2人に事実関係をただすこと。


?1997年の特集記事について、当時の清田外報部長が自分の誤報を握りつぶした疑いがある。これも本人を呼んでただすこと。
史実はほぼ明らかだが、最大の懸案は世界に広がった「性奴隷」の誤解をどう解くかだ。NYTのタブチ記者によれば、これは国際刑事裁判所のsexual slaveryの定義によるそうだ。これは人身売買の意味であり、米議会決議なども「史上最大の人身売買」などと非難している。

私が「人身売買は違法だったので政府の問題ではない」といっても、タブチ記者は「違法な人身売買をさせた日本政府が悪い」という。これは「麻薬売買は違法だから、売買をさせた日本政府が悪い」といって批判するようなものだが、この点はすでに日本政府が1992年と93年に謝罪しており、新たな請求権の根拠にはならない。

ただ世界のほとんどの人は、彼女のレベルにも達していない。私のところに来る外人のツイッターは、慰安婦=性奴隷=強制連行=人身売買=ホロコーストといった混乱した話をする。この誤解を訂正することは困難だが、まず朝日新聞が正しい事実関係を確定し、英文で海外に発表する必要がある。

朝日は「吉田証言は嘘だが、強制連行はあったかもしれない」という話をしているが、少なくとも外交的に係争中の朝鮮半島では、軍が慰安婦を連行した事実はない。この点を朝日が全面的に撤回すれば、海外メディアも事実関係を調べ直すだろう。

そうすれば元慰安婦の証言も嘘だと気づき、慰安婦問題そのものが「壮大な虚構」であることは、プロならわかるはずだ。政府は河野談話から踏み出せないので、朝日新聞にできることのほうが多いと思う(この点は朝日のOBも同意した)。

池田信夫 blog
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51914067.html#more
 
 

廃刊すべし

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2012年10月19日(金)14時13分53秒
  常日頃差別がいけないと言ってきた朝日の子会社ですからね。
廃刊するべきでしょうね。
編集長自体この記事が許されると思っていたんですからなんとも言いようがないですな。
私は記事は読んでいませんけれども徳島ですから関西のテレビが見えますからね。
関西ローカルでは大きく取り上げられておりますからある程度は内容がわかります。

とにかく同和地区出身者でろくでもないと叩いているわけですよ。
編集権が別なんて通りませんよ。
週刊朝日には朝日新聞の記者が多数いるんですからね。
そう言えば「赤い赤い朝日は赤い」なんて記事が出たことがありますけどね。
稲垣武さんの『「悪魔祓い」の戦後史』は痛烈に朝日を批判した本でしたけどね。
その病理と言うか、とにかく右よりの者には何を書いても良いんだという病的な物が朝日にはありますからね。
野村秋介の風の会を山藤章二のイラストで虱の党と罵倒にしたのは有名ですからね。
よく野村が山藤を許した物だと感心した物でした。
朝日は許さなかったけどね。

これは多くの人が誤解しているけど、朝日は偏向はしていませんよ。
新聞も雑誌も言論の自由がありますからね。
どんな思想信条を持とうが勝手なんですよ。
赤旗が変更しているなんていう人いますか、いませんよ。
朝日新聞も週刊朝日も一民間の出版社でしかありません。
が、同和地区出身者だと言って貶めることは絶対に許されません。
常日頃在日差別がどうのと言っているんですがね。
朝日は在日韓国朝鮮人が犯罪を犯しても決して本名では報道しないんですけどね。
右翼だと断定し大きな影響を持つと判断すれば子会社にあんな記事書かせるんだからね。
自分が書けないから週刊朝日に書かせたわけですから。

そう言えば、2chに同和差別の書き込みを頻繁にしていた朝日の記者が逮捕されていましたね。
朝日の偉い人が不愉快な思いをさせたとか言っていましたけど。
今回同様謝罪ではないですな。
朝日は謝らないのが心情ですからね。

どうも朝日は朝鮮人は好きだけど同和は嫌いなんじゃないかと思えてしまいますね。
同和団体は抗議したのかな。
積水ハウスが、全国地名総覧を持っていたことですさまじい抗議を受けたことがあったけどね。

佐野真一にあんなこと書かせてそれで通ると思った編集長は朝日の唯我独尊の体質が出た者ですな。

週刊朝日の不買運動をするべきですね。
廃刊に追い込むべきですね。



橋下市長:週刊朝日「不適切な記述」と謝罪 取材拒否問題

毎日新聞 2012年10月18日 21時39分(最終更新 10月18日 23時14分)

記者会見で、朝日新聞記者(手前)に見解を求める橋下徹大阪市長=大阪市役所で2012年10月18日、茶谷亮撮影

 橋下徹大阪市長が、自らの出自に関する週刊朝日の記事を巡って朝日新聞の取材を拒否している問題で、週刊朝日は18日、「不適切な記述があった」などと謝罪するコメントを出した。次号でおわびを掲載し、連載を続けるかどうかも協議するという。

 記事は、週刊朝日(10月26日号)が連載を始めた「ハシシタ 奴の本性」。ノンフィクション作家の佐野眞一氏らが執筆し、橋下氏の実父の縁戚者へのインタビューなどを掲載。「橋下氏の血脈」をたどり、「本性をあぶり出す」としている。

 週刊朝日の河畠大四編集長は「同和地区を特定するような表現など不適切な記述が複数ありました。橋下市長をはじめ多くのみなさまに不快な思いをさせ、ご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。差別を是認したり、助長したりする意図は毛頭ありませんが、不適切な記述をしたことについて深刻に受け止めています」とコメントした。

 これに先立ち、橋下氏は18日の記者会見で、「(記事は)血脈主義や民族浄化主義につながる危険な思想」と指摘し、朝日新聞の見解を求めた。同紙記者は「週刊朝日とは編集権が別」として見解を示さず、橋下氏は取材拒否の継続を決めた。

 橋下氏は、記事が実父の出身地を巡る記述で橋下氏の人格否定につなげていると指摘。「差別を助長し、社会的に許されない」と批判した。また、朝日新聞が同誌を発行する「朝日新聞出版」に出資していることを問題視し、「血脈主義を認める団体」と批判。記者団からは週刊誌とは編集権が異なるとの指摘が相次いだが、橋下氏は「親会社なら子会社の方針を決められる」と受け入れず、記事に賛同しないなら出資をやめるよう要求した。朝日放送については、「週刊朝日と同一視できない」として取材拒否を撤回した。 【茶谷亮、原田啓之】
 

哨戒艦沈没:韓国政府、国際法の検討に着手>また斜め上に・・・・

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2010年 3月31日(水)23時31分23秒
  2010/3/31 朝鮮日報
哨戒艦沈没:韓国政府、国際法の検討に着手


意図的な攻撃や機雷の流出が原因の場合には、責任を追及する



 韓国政府は天安号沈没事故の原因について、北朝鮮や第3国による意図的な攻撃あるいは機雷管理のミスによるものと明らかになった場合に備え、関連する国際法についての検討に着手した。


 政府関係者は30日、「事故原因は今のところ判明していないため、複数の可能性を念頭に置きながら、関連する国際法について検討を行っている」と述べた。国際法に対して詳しく検討する作業は、外交通商部の国際法律局が担当しているという。事故原因が韓国軍のミスによるものであれば、国際法について検討する必要はない。そのため、政府による国際法の検討は、北朝鮮や第3国による魚雷攻撃や、機雷と接触した可能性を視野に入れていることをうかがわせるものだ。


 この政府関係者は「敵対的な目的を持つ攻撃行為、(機雷流出などの)単純ミス、(機雷を流すなどの)意図的なミスなど、行為の目的や動機によって韓国政府の対応も変わってくる」とした上で、「政府は事故原因が明らかになった後に備えている」と述べた。


 国際法では、機雷の流出といった管理ミスにより発生した事故について、機雷を設置した国の責任としている。外交通商部は現在、1946年のコルフ海峡事件に対する国際法の判例を分析しているという。この事件は、アルバニア領海を通過していた英国の軍艦が、機雷に触れて破損したもので、アルバニアはこの裁判で、領海に設置された機雷の危険性を事前に知らせなかったということから、責任を負わされた。国際法では被害者側が加害者側の責任を立証しなければならないため、事故原因を立証できる資料の確保が急務となってくる。


 北朝鮮による意図的な攻撃であることが明らかになった場合の政府の対応について、政府関係者は「常識的な次元で考えればよい」と語る。しかし、違法行為を行った国が責任を認めない場合、国際司法裁判所でこの問題を審議することはできない。代案として、国連安全保障理事会に問題を処理してもらう方法も考えられる。また非常に珍しいケースではあるが、攻撃を受けたのと同じ方法で報復を行なうことも考えられる。


鄭佑相(チョン・ウサン)記者


http://www.chosunonline.com/news/20100331000030


引用ここまで




 哨戒艦爆沈事件については、艦体が引き揚げられて調べられない限り、何を言っても憶測になるので、もっぱら韓国人の反応を見ているんですが、何と言うか・・・・斜め上ですね。

 ”関連する国際法についての検討に着手した”・・・先日引用したあのフネの艦長の発言も相当にアレでしたけど、国際法は止めとけ(笑)。


 だいたい君たちは休戦中の敵国同士じゃないか。去年だってワタリガニの季節に縄張り争いで撃ち合いをやってるんだし、国際法もクソもないでしょう。やられたらやりかえすだけです。


 ”機雷と接触した可能性を視野に入れている”・・・まあ艦内の爆発やら艦体の疲労による断裂などが原因だと上層部は責任を追及されますからね。こういう場合に何が何でも責任を他に転嫁するという点では韓国人は恐るべき能力を持っているし。

 だいいち艦長自らが実行しているし(笑)。


 しかし先日書いたように、モノが浮遊機雷(最初から固定していないもの)であり、北が設置後1時間以内に無能力になるようにしていなかったということが分かったらどうするんだ?

 ”違法行為を行った国が責任を認めない場合、国際司法裁判所でこの問題を審議することはできない”・・・ラングーン事件やら大韓航空機爆破事件で良く分かっているでしょう。

 日本が誘ってるのに君たち自身が出てこないんだし(笑)。


 そういえば今は亡きノムたんに名言がありましたな、”自分が不利になるとしたら国際法など守る必要があるだろうか?”

 全くおっしゃるとおりで・・・・政府はただ責任逃れの材料を探しているだけなんですから。


 それに国際法なんぞがあったって、”国際法では水中の岩礁は領土とはならず、それを根拠にどこの国も海洋管轄権を主張することはできない”・・・と書きながら、水深40メートルの海に





 こんな施設を造って、中国相手に、ウリの領土ニダ!と主張していましたな。国際法だって・・・ほら、法治国家同士のための基準だから。
 

韓国、枝野行政刷新相の発言に遺憾表明>ご注進の効果が

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2010年 3月30日(火)00時26分16秒
  2010/3/28 聯合ニュース

外交通商部、枝野行政刷新相の発言に遺憾表明



【ソウル28日聯合ニュース】外交通商部は28日、日本の枝野幸男行政刷新相が島根県松江市で27日に行なった講演で、日本は植民地を広げる側で、中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然だったと発言したことについて、遺憾の意を示した。


同部当局者は「日本政府の責任ある閣僚が誤った歴史認識に基づいた発言を行なったことに対し、韓国政府は深い遺憾の意を表明する」と明らかにした。枝野行政刷新相は誤解を招いた自身の発言について率直におわびするとしたが、韓国政府は過去の歴史に対する日本側の謝罪と反省が真正性を持っているのかに対する疑問を呼び起こしかねない事態が二度と起こらないことを希望すると述べた。


http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2010/03/28/0400000000AJP20100328001200882.HTML


引用ここまで




 権兵衛が種撒きゃカラスがほじくるのと同様に、日本の閣僚の失言は朝日がご注進してシナ朝鮮が騒ぐというのが過去のパターンだったわけですが今でもそうなんですね。

 最近は2ちゃんねるが朝日に取って代わったかと思ったのに。


 ”中国や朝鮮半島は植民地として侵略される側になったというのは、歴史的な必然”・・・しかし朝日の記事だってこんな書き方はしていないが?相変わらず歪曲が好きなようで・・・・


 あの程度の発言が問題になるのなら、とっくに解決済みの問題について日本が性奴隷を云々と書き続けるのはいかがなものかと(笑)。これは十分に誣告罪で有罪のレベルに・・・・と言っても日本の4000倍の国だからなあ、挨拶程度と解釈され、問題にはならないのか。


 まあ性奴隷だの強制連行だのは明らかに誤った歴史認識だけど、”日本政府の責任ある閣僚が誤った歴史認識に基づいた発言を行なったことに対し、韓国政府は深い遺憾の意を表明する”・・・植民地云々のほうは概ね先進国では共通の歴史認識だし、最近は韓国でもそういう歴史観が出てきているはずだけど。


 昔だったら確実に枝野の首は飛んでいたけど・・・どうかな?別に飛んで惜しい首でもないが(笑)。ついでに監督責任でポッポも一緒に・・・・


 ちなみに朝日は世界フィギュアの真央の演技については3Aの回転不足が云々と書いていたけど、その他はミスらしいミスはなかったのに、ヨナより点数が低いことについては書いていなかったな。

 その程度は朝日の作文能力からすれば簡単だろうに。


 昨日はYOUTUBEの動画を見て回っていたのですが、真央とヨナの演技を並べた動画が・・・・どういうわけか埋め込みができないのですが、こちらから見られます。


 そりゃ真央だって転んで優勝したことはあったけど、最高難度の技に挑んでのことだしねえ・・・・素人目には不可解としか。


 聯合ニュースの記事はオカシイところは全くないです。極めて平壌運転というだけで。

 うっかり理解なんか示されたら今度は軍艦が沈むくらいじゃ済まないような気が・・・・
 

(無題)

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2010年 3月30日(火)00時24分5秒
  2010/3/29 MSN産経ニュース

「私は17歳」 日帝時代も明るかった?



 今年は韓国がその昔、日本に“併合”された1910年(明治43年)から数えて100年だというので、マスコミなどで過去回顧が盛んだ。韓国人にとっては「いまわしい過去」である日本支配の歴史を振り返るわけだから、あらためてウップンものだ。したがってほとんどの回顧モノは「暗黒だったあの時代」という話になる。


 その日本支配の初期である19(大正8)年3月1日に大規模な反日独立運動があり、「3・1節」として今も国の祝日になっている。毎年、大統領も出席して政府主催の記念式典がある。

 マスコミは特集記事で繰り返しその意義をたたえる。「よくがんばった史観」というか、支配されたみじめさより、それにいかに抵抗し、立派に戦ったかを教える愛国・民族教育の日である。どこの国でも“暗より明”の歴史教育は当然である。


 しかし最近の調査によると、小中高校生など若い世代には「3・1節」の意味を知らない者が増えているという。今年、その意味合いを正確に答えられなかった者が40%に上ったという。韓国でも若い世代に“歴史離れ”が出始めている?

 この日に合わせ、KBSテレビの人気懐メロ長寿番組「歌謡舞台」(毎週月曜)は「3・1節特集」として特別番組を放送した。懐メロ・ファンには見逃せない。休日だったのでじっくり楽しませてもらった。


 番組は『独立軍歌』という、洋モノに韓国語の歌詞をつけた古い民族的抵抗歌謡から始まった。番組では戦前の演歌モノを中心に二十数曲が登場した。その中に乙女心を軽妙に歌った『私は17歳』があり、新発見だった。

 よく知られた歌だが、発売・ヒットが日本統治時代後半の38(昭和13)年だったのだ。


 時代としては大陸で支那事変(日中戦争)が拡大し、日本は国家総動員法で戦時体制が強まりつつあった。“内地”といわれた日本本土ではこの年、『愛国行進曲』や『日の丸行進曲』が発表され、東海林太郎の『麦と兵隊』や渡辺はま子の『支那の夜』、淡谷のり子の『雨のブルース』がヒットしている。

 韓国人の作詞・作曲である『私は17歳』はもちろん韓国語(朝鮮語)だが、周りの韓国人たちに聞くと、その歌のムードからみんな戦後(解放後)の歌と思っていたという。


 ♪私の胸はドキドキ

  教えてあげるわ17歳なの

  青い鳥夢見る柳の下

  こっそりおいでなさいな

  …

 歌詞も曲も実に明るく軽快なのだ。「暗鬱(あんうつ)な日帝(日本帝国主義)時代の抑圧の下…」などという、肩に力の入った番組司会者のナレーションがどこか浮いた感じだった。

 だからといってあの時代が「いい時代だった」ということにはならないだろう。ただ韓国人たちだって明るい歌も歌っていたのだ。後世の人たちが想像するように、人間や歴史や時代がある色で一色だったということは、必ずしもないのだ。(ソウル 黒田勝弘)


(1)http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100329/kor1003290744004-n1.htm

(2)http://sankei.jp.msn.com/world/korea/100329/kor1003290744004-n2.htm


引用ここまで





 ”暗黒だったあの時代”・・・これは日本の場合も同じですな。特に左の方々が戦後長い間、寄ってたかって戦前・戦中の時代を暗黒の歴史にしてくれましたし。

 江戸時代も百姓一揆と飢饉の暗黒史にしてくれていますが、こっちの嘘はかなりの程度にバレているんじゃないかと思いますが。


 戦前戦中についても、たとえば私の信頼するエッセイスト山本夏彦などは暗黒時代という嘘の皮を剥がしてくれていますしね。「滅亡近い平家はそれゆえ明るい」と書いたのは太宰治だけじゃないですし。


 そういえば韓国の軍事政権時代にも、岩波の「世界」などは大いに暗黒史観を煽っておりまして、朝鮮日報の書評欄でも、”『世界』は北朝鮮の代弁誌に他ならなかった。その偏向した論調は、結果的に、韓・日両民族の和解にとって少しも助けとならなかった”・・・と非難されていますし。


 ”池明観が、「TK生」というペンネームで韓国の暴圧的政治状況について暴露した記録”・・・などが日本でも広く信じられていたものですが、朝鮮語ができ、実際に韓国を訪問した経験のあるSF作家の豊田有恒などは、戒厳令で夜間の外出は禁じられているにも拘わらず、軒先を伝い歩いて韓国の学生と一緒にディスコや酒場をハシゴした経験を書いていました。

 日本では韓国の学生は、デモで石を投げたり機動隊に殴られたりKCIAに逮捕されて拷問されるだけの存在とみなされていたので豊田の見聞は全く進歩的マスコミにはウケなかったそうですが。


 ”発売・ヒットが日本統治時代後半の38(昭和13)年だったのだ”・・・「私は17歳」という歌は知りませんでしたが、同じ昭和13年のヒット曲でこういう歌は知っています。



 時局をわきまえず・・・・なんて叱られた例もあったんでしょうな。韓国の軍事政権時代に日本の歌謡曲が禁じられていたように。まあ今でもテレビで歌うのは実質的に禁じられているんですが。
 しかし、その時代に韓国に招かれたフランク永井がコンサートで韓国歌謡を歌っていたところ観衆が険悪な雰囲気になり、「日本の歌を歌え!」と野次られたとか。韓国人スタッフが、私が責任を持つから・・・ということで、「有楽町で逢いましょう」その他を歌って和やかになったそうですが。

 黒田記者の本だったかな?ちょっと忘れましたが。


 そういえば「木浦の涙」という黒田記者の愛唱歌は1935年でしたか。朝鮮日報は、これらの歌は検閲され、禁じられ・・・・と書いていましたが、あの時代は、”暗鬱な日帝時代の抑圧の下”・・・ でないと都合が悪いんでしょうな。


 ”人間や歴史や時代がある色で一色だったということは、必ずしもないのだ”・・・全くその通りで。文化大革命の時代にだって色事や賄賂以外に興味のなかった共産党員だっていたに決まってますし、ソ連華やかなりし頃も、モスクワ愚連隊も娼婦もいたわけですし、ある作家はソ連を旅行した際に付いてくれたバリバリの共産党員のガイドが、「ロータリーエンジンの車に乗りたい」と言ったことに驚いた、と書いていました。



 念のために「私は17歳」 をYOUTUBEで検索してみたら森高千里の動画に混じって、このようなおぞましい動画も。


 お前の場合は、「相手は17歳」じゃろうが!!
 

(無題)

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2010年 3月22日(月)13時54分0秒
  【韓国】「ザ・コーヴ」のシホヨス監督「蔚山の鯨食堂は世界唯一無二」[03/19]

‘ザ・コーヴ’シホヨス監督“蔚山(ウルサン)鯨食堂は世界唯一無二”

http://nownewstv.seoul.co.kr/img/upload/2010/03/19/SSI_20100319161454_V.jpg

日本で広がった大規模イルカ捕鯨の残酷な実態を告発した映画「ザ・コーヴ」のルイ・シホヨス監
督とチャールズ・ハンブルトンプロデューサーが19日ソウル鍾路区(チョンノグ)中学洞(チュンハ
クトン)の日本大使館前で記者会見を行った。

国内の環境運動連合の海委員会と環境財団のソウル環境映画祭の招請で韓国を訪れた彼らは
この日記者会見を通じて日本政府の捕鯨政策を糾弾して韓国の鯨捕鯨に対して明らかにした。

「ザ・コーヴ」のルイ・シホヨス監督は「17日蔚山(ウルサン)長生浦(チャンセンポ)の鯨肉食堂街
を訪問した時、1.5km地域に総29ヶ所の鯨肉飲食店を見て驚くべきことだった。」として「このよう
に多くの鯨肉販売店があるのは1986年捕鯨を禁止した以後世界で唯一無二だ。」と話した。

シホヨス監督は「去る10年間の研究結果で明らかになったように鯨肉には水銀含有量が基準値
をはるかに越えている。」としながら「鯨を食べるのは毒を食べるのと同じだ。」と明らかにした。

引き続き「長生浦鯨水族館にも行ってみたが人間と知能が似ていて群れを成して行動するイルカ
を小さい水タンクに閉じ込めておいて楽しむのは良くない。」として「私達の子供たちに見せなけれ
ばならないイルカは自然で息をして生きていく姿」と強調した。

一方、この日の記者会見に共に参加した「ザ・コーヴ」のチャールズ・ハンブルトンプロデューサー
は「鯨やイルカは私たちが海洋がどれくらい汚染されたかを正しく知ることができる基準になる動
物」としながら「彼らは私たちに栄養分をあたえる存在でなく地球の健康をまさに見せる象徴」と付
け加えた。

アカデミードキュメンタリー賞受賞でもう一度作品性を認められた映画「ザ・コーヴ」は来る5月20日
から開かれる第7回ソウル国際環境映画祭でアンコール上映される予定だ。

ソウル新聞ナウニュースTVソン・ジンホ記者

ソース:ソウル新聞(韓国語) 2010-03-19
http://nownewstv.seoul.co.kr/news/newsView.php?id=20100319030001

関連スレ
【韓国】日本のクジラ殺傷と遠征捕鯨に抗議、韓国市民団体[03/19]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1269009579/
【日韓】韓国市民団体、在韓日本大使館前で日本のクジラ殺傷と遠征捕鯨に抗議-「ザ・コーヴ」のルイ・シホヨス監督も出席[03/19]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1268996620/
【日中】中国から見た日本の捕鯨「名目上は科学研究 実際は食用」-日本の狂気的ともいえるクジラ漁はすでに世界でも悪名が高い[03/16]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1268733553/
 

楽園です

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2009年 9月 9日(水)20時03分20秒
  【在日】「どこが『地上の楽園』だ。地獄だ」…脱北女性が問う朝鮮総連の帰還事業の責任、在日「厄介払い」の日本政府にも責任?[9/9]★3

 「飢饉(ききん)に洗脳教育、そして差別に拷問。どこが『地上の楽園』だ。楽園でなく地獄だった」。大阪府八尾市在住の脱北女性、
高政美(コジョンミ)さん(49)は、怒りの矛先を帰還事業を支援した在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)に向けた。大阪地裁で慰謝料
など約千百万円の損害賠償を求めて係争中。「うそで人生を狂わせ、それで許されるのか」

 高さんの左肩には大きな刺し傷がある。拷問で受けたのではない。「自らの右手ではさみを握り、刺したあと」という。高さんは、2000年11月
に中朝国境の鴨緑江を渡って脱北。しかし、中国から日本への渡航に失敗。2003年1月に北朝鮮に強制送還され、その途中に「抗議の
自殺」を図った。

 「血が噴き出て、もうろうとしたところまでは覚えている。だけど死ねなかった。留置所に入れられ、殴る蹴るされて、脱北計画について
取り調べられた。何度も気絶した」と高さん。「顔かたちは変わってしまい、昔の顔ではない。歯は抜かれて、これは全部、入れ歯」と前歯を
指さした。

 肉体的にも精神的にも、極限まで痛めつけられた影響か、眠れない毎日が続く。眠れても、悪夢にうなされる。「でも私はまだ幸せな方。
生きて脱北できたのだから」

 訴状によると、高さんは3歳だった1963年に一家で北朝鮮へ。両親は韓国・済州島出身だったが、父親は早世。3人の子どもを抱えて
経済的に困窮していた母親が、「北朝鮮に行けば心配なく生活できる。食料は十分あるし、仕事も住宅も与えられる」と繰り返し説得され、
帰国を決心した。

 ところが、連れて行かれた北西部の新義州で、母親を待っていたのは朝から深夜までの労働奉仕。兄は「日本に帰りたい」と口にして、
精神科病院に収容され、栄養失調と、床は汚物だらけの劣悪な環境に耐え切れずに亡くなった。

 高さんが人民学校に通うようになると「チョッパリ」と日本人の蔑称で呼ばれて差別され、服を脱がされたり、破られたりといじめられた。
(中略)
 「帰還事業は在日朝鮮人を『労働者』や『金づる』として利用しようとした北朝鮮による誘拐事件。朝鮮総連は虚偽の説明でそれを
実行した。まだ、北朝鮮に残っている人がいる。人の命がかかっている問題なんです」と高さん。「裁判は脱北に成功した者の使命。
死ぬまで戦います」

 帰還事業とは一体、何だったのか。非政府組織(NGO)「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」の幹部で大阪経済大学准教授の
山田文明氏は「北朝鮮は労働力を欲し、在日朝鮮人に目を付けた。日本でも在日の問題が顕在化していて、日本政府はそれに応じた、
という経緯がある」と話す。

 実際、在日朝鮮人は差別の対象で生活は苦しく、公的援助の受給者も多かった。また、左翼的思想を持ちがちで、東西冷戦下では、
半ば厄介払いでもするかのように「在日を追い出そう」という空気があったという。
(中略)
 一方、朝鮮総連はこの裁判について「同じような訴えを棄却した判例がすでにある。訴えは同胞社会と日朝関係に害を与える以外の
なにものでもない」とコメントした。

 その裁判は、62年に脱北したソウル在住の男性が01年6月に、朝鮮総連に損害賠償を求めて東京地裁に起こした。だが、脱北してから
39年が経過して「損害賠償請求権が10年の時効で消滅している」と棄却、敗訴が確定している。

 だが、高さん側は「日本の在外公館に保護されたのは05年3月で、この提訴では時効は成立しない」との立場だ。

 また、朝鮮総連は在日朝鮮人に帰国を促すと同時に、帰国の準備のために朝鮮語教育などを実施していた。また、日本に残した資産は
朝鮮総連が管理、処分していた実態から、高さん側は「帰国者と朝鮮総連の間には何らかの契約があったとみなされる」と主張する。
(中略)
 ただ、この裁判の難しさは、帰国事業が始まった当時、日朝両国の思惑に加え「在日朝鮮人は人道上、北朝鮮に帰すべきだ」という理屈に、
多くの政治家や文化人、さらにはメディアまでもが疑問を持たず、帰国者の背中を押した、という事実があることだ。

(以下略。全文は東京新聞紙面でどうぞ)

ソース(東京新聞 9/7付 こちら特報部) http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2009090702000056.html
★1がたった時刻:2009/09/09(水) 01:17:56

前スレ
【在日】「どこが『地上の楽園』だ。地獄だ」…脱北女性が問う朝鮮総連の帰還事業の責任、在日「厄介払い」の日本政府にも責任?[9/9]★2
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1252453831/
 

つまりチベット大虐殺は些細なことだから口に出すなと

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2008年 5月 4日(日)18時58分13秒
  【朝日新聞】 歴史的な出来事である胡錦濤主席の訪日~アジアの隣人として多難な時こそ、大局を語るべき [05/04]

胡錦濤主席の訪日―多難な時こそ、大局を
http://www.asahi.com/paper/editorial20080504.html
 中国の胡錦濤・国家主席がやってくる。前任の江沢民氏以来、最高指導者の日本訪問は実に
10年ぶりという歴史的な出来事である。

 「来年を日中関係、飛躍の年にしたい」。昨年暮れ、北京を訪問した福田首相は温家宝首相に
そう語った。胡氏の来日に続き、北海道洞爺湖サミットや北京五輪もある。中国との外交に長年
心を砕いてきた政治家としての、決意を込めた言葉だったに違いない。

 それから、わずか4カ月余り。あのころ日中間に吹いていた順風はすっかりやんでしまった。
中国製冷凍ギョーザの中毒事件、チベット騒乱と聖火リレーの混乱、東シナ海のガス田開発を
めぐる行き詰まり。「飛躍」どころか、冷え冷えとしたすきま風が両国の間を吹き抜ける。

 振り返れば、江沢民主席の来日時には過去の侵略戦争に対する日本の反省をめぐって両国の
関係はささくれ立ち、その後の小泉政権時代は靖国神社への参拝などをめぐって首脳会談すら
ままならなかった。3年前には中国各地で空前の反日デモが荒れ狂った。

 それを思えば、胡氏を迎えるところまで、よくぞ修復されたということだろう。安倍前首相が
「戦略的互恵関係」を掲げて踏み出した一歩が風向きを変え、福田首相がより現実的な外交
へとかじを切った成果である。

 ■頑なさが深める亀裂
 それなのに、なぜ今のような事態に至ったのか。何より「歴史問題」が深刻な影を落としてきた
従来の日中関係とは異なる様相が、そこには見える。グローバル化する世界の中で、年々、
存在感と自信を膨らませる中国の姿勢や振るまいと、それに対する日本側のわだかまりが深い溝を
刻んでいると言ってもいい。

 日中の間だけではない。チベットでの中国の人権弾圧をめぐって、欧米諸国からの批判を受け
つけようとしない頑(かたく)なさは、聖火リレーの混乱にとどまらず、五輪開会式への首脳の欠席と
いった反応も引き起こしている。

 しかし、中国側からすれば、チベットは中国の不可分の領土であり、いかなる分離主義も許さない
ということだろう。台湾や他の少数民族の問題とも同様に原則の問題であり、妥協はありえないという立場だ。

 長い歴史を誇る大国でありながら、19世紀の半ばから第2次大戦まで、欧米列強や日本に蹂躙
(じゅうりん)され続けた中国。それが再び世界の政治、経済大国へと歴史的な道を歩もうとするとき、
外国からなぜこうも文句を言われなければならないかという思いもあろう。それは若者たちの激しい
「愛国主義」にも感じ取ることができる。

 だが、少数民族の権利とどのように向き合い、人権や文化を守るかは、いまや世界全体が無関心では
いられない課題だ。世界の祭典である五輪を開催しようという中国が、国内の論理だけで突き進もうと
しても通用しない。

 中国の指導者がそれを理解し、チベット仏教の指導者ダライ・ラマ14世側との実りある対話を進めることが、
状況を改善に向かわせる出発点だ。

 さて、日中の間で、日本の国民に中国への違和感を感じさせた象徴的な問題がギョーザ事件だ。
中毒の原因である農薬が中国で混入された可能性は乏しい、とした中国側の一方的な結論に驚き、
憤った人は少なくないはずだ。

 膨大な食糧の輸出入という、日中間の経済的な相互依存関係が深まったからこそ起きた事件だが、
農薬規制や工場管理から、ひいては中国の信用そのものが問われているのに、中国の対応は固く、
鈍すぎる。

 中国では対日政策が国内の政争の具になりやすいと言われてきた。ギョーザ事件をめぐる頑なさも、
胡錦濤政権が指導部内にある対日強硬論に配慮せざるをえなかったためではないかという観測もある。

続く

 ■アジアの隣人として
 一時は合意の可能性が見えた東シナ海天然ガス田の日中共同開発をめぐる動きが止まったのも、
同様の理由かも知れない。

 胡主席の訪日延期論も中国側にあったようだ。チベット騒乱後初の外国訪問に世界から厳しい視線が
注がれる。日本の空気も冷ややかだ。融和的な姿勢を見せれば、国内の政権基盤に響く。そんな考慮
からだろう。

 主席を迎える福田首相も、内閣支持率が2割前後まで落ち込み、政治的な窮地にある。自民党内には
チベット問題などをめぐって対中強硬論も渦巻いている。懸案をめぐって具体的な進展を見いだすのは難しかろう。

 しかし、今週行われる首脳会談の意義は決して小さくない。それは、状況が難しい時こそ、首脳が相手の
国民に姿をさらし、対話を続けることが大切ということにとどまらない。

 中国の動向を世界が固唾(かたず)をのんで見守るのは、その巨大な経済的、政治的、軍事的な存在感
ゆえだ。その中国の姿勢が国際社会の価値観や外交とはそぐわないとして批判され、溝が生まれている。
だが、その亀裂がこのまま深まる一方では、世界のためにも中国のためにもならない。

 福田首相が胡主席と語るべきは、まさにこうした大局観ではなかろうか。まず、いまの中国に注がれる世界の
視線を、率直に伝えることである。

 同じアジアの隣人として、日本には欧米諸国よりも有利な立場もあるのだから。
http://daybreak.ne.jp/item/tshirt/ln_01-5942.php

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やれやれ

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2008年 5月 1日(木)23時01分55秒
  またメインテナンスだよ。
こう検閲が多いと嫌になるね。
どこか他の所に変わろうかな。

http://daybreak.ne.jp/item/tshirt/ln_01-5942.php

 

朝鮮風物誌

 投稿者:陶邑春樹  投稿日:2008年 3月14日(金)12時16分54秒
  W・R・カールズ『朝鮮風物誌』
W. R. 칼스 지음, 신복룡 옮김, 조선풍물지, 집문당, 1999.




 W・R・カールズ (William Richard Carles, 1846~1929) は英国の外交官で、1867年に北京駐在英国公使館の翻訳留学生として経歴を開始し、1901年に引退するまで、ほとんど中国で中国語の専門家として活躍した。朝鮮は二度訪れており、まず1883年11月から12月にかけて、江原道金化を中心に鉱山の調査に従事した。いったん中国に戻ったが、翌1884年に北京総領事パークス (Harry Parkes, 1828~1885) が条約締結のため訪朝した際に同行し、5月に高宗に謁見した。カールズは済物浦駐在の副領事に任命されたが、9月には北部旅行に出発し、平壌、義州、江界、元山を経て11月にソウルに帰着した。
 本書 (Life in Corea) は、中国に戻った後の1888年に出版された。当時の商工業の水準や日本人の進出、女性の地位をはじめ社会風俗に関する記述が豊富で興味深い。



우리는 곧 일본 집들이 즐비하게 늘어선 길가를 벗어나게 되었다. 일본 집들은 최근 외국인과의 장사로 톡톡히 재미를 보고 있는 소상인들이 서둘러 지은 집들이었다. 이런 종류의 집들을 굳이 비교하자면 일본 영사관 같은 고급 집과 이곳에 일자리를 찾으러 와 잠시 거주하는 조선 사람들의 오두막집의 중간 정도였다. 일본 집은 모두 매력적인 반면에 조선 사람들의 집은 통풍 장치가 전혀 되어 있지 않고 냄새가 나는 도로변 양쪽에 제멋대로 지어 올린 초가지붕의 토담집들이었다.
われわれはすぐに、日本家屋が立ち並ぶ一帯を通り抜けることになった。これらの日本家屋は、最近外国人たちとの商売で大きな利益を上げている小商人たちが建てたものだった。こうした種類の家は、あえて比較するなら、日本領事館のような高級建築と、そこで働きながら仮住まいをする朝鮮人たちのあばら家の中間程度だった。日本家屋はすべて魅力的な反面、朝鮮人たちの家は、通風装置がまったくなっておらずにおいがひどい道路の両側に散らばって立つ、草ぶき屋根と土塀の家だった。(p. 28)

신분이 낮은 다른 여인들은 아이들에게 젖을 먹이며 집 문 앞에서 서성거리거나 집안 일을 하고 있었다. 장옷을 가리지 않은 그들의 얼굴은 천연두를 앓은 혼적과 중노동의 비천한 대우를 받은 빛이 역력했다. 어깨 위로 입는 짧고 꾁 끼는 옷은 젖가슴을 드러나게 했고 그들의 누추한 옷과 모양새 없고 불결한 곳에서 사는 모습을 보며 우리는 조선 여인들에 대해 좋지 못한 인상을 받게 되었다.
身分が低い他の女性たちは子どもに乳を吸わせ、家の門の前をうろついたり家事をしたりしていた。長衣を着けない彼女たちの顔は、天然痘をわずらった痕跡と、重労働の卑賤な待遇を受けたことが歴然としていた。肩の上に着る短く窮屈な服は、乳房をあらわにしており、彼女たちの陋醜な服とみすぼらしく不潔な所に住む様子を見て、われわれは朝鮮女性たちに対し好ましからぬ印象を持つようになった。(p. 36)

아침에 일어나 보니 대형 가방이 없어졌다. 수색을 해서 선수에서 그것을 곧 찾았으나 내가 조선의 골동품을 사려고 했던 돈 몇 달러는 이미 없어져 버렸다. 조선의 일꾼이 그 돈을 훔쳤다는 것은 의심할 나위도 없다. 그는 부산으로 가는 도중이었으며 나의 가방 속에 든 내용물들을 본 적이 있었다. 상륙하기 전에 그를 발가벗겼으나 없어진 돈은 나오지 않았다. 그는 나에게 웃음을 지으며 작별 인사를 했고 그 다음에 만날 때도 그런 식으로 인사를 했다. 시골에 가면 방이 부족해 우리는 짐을 노천에 내어놓았지만 짐을 잃어버리는 경우가 없었다. 이런 점에서 볼 때, 조서 사람들은 서구 문물이 들어오기 이전까지는 정직했다. 그러나 서양 문물이 들어온 이후에 사정이 많이 바뀌어 절도에 대한 적절한 처벌이 필요하다는 얘기를 우리는 자주 들었다.
朝起きてみると、大型カバンがなくなっていた。捜索をして、船首でそれをすぐに見つけたが、私が朝鮮の骨董品を買おうと持って来た数ドルの金は既になくなっていた。朝鮮人の従僕がその金を盗んだことは、疑うべくもなかった。彼は釜山に行く途中で、私のカバンの中身を見たことがあった。上陸する前に彼を身体検査したが、なくなった金は出て来なかった。彼は私に笑みを浮かべて惜別のあいさつをして、次に会ったときも同じようにあいさつした。田舎に行くと部屋が不足なため、われわれは荷物を露天に置いておいたが、荷物がなくなったことはなかった。このような点から見て、朝鮮人は西欧の文物が入ってくる前は正直だった。しかし西洋の文物が入って来て後では事情が大きく変わり、窃盗に対する適切な処罰が必要だという話をわれわれはよく聞いた。(p. 69)

아주 경제적인 일본인조차도 조선에서 무역을 하는 것이 결코 돈 벌 일이 못 된다고 생각할 정도이다. 많은 일본 무역업자들이 조선에서 사업에 실패했다. 또한 이 지역에서 사업을 하는 몇 안 되는 유럽인들은 자신들이 수입하는 상품에 대한 은화 지급이나 현물 지급 방법이 어렵다고 불평한다.
きわめて経済的な日本人でさえ、朝鮮で貿易をすることが決して金儲けにならないと考えるほどだ。多くの日本の貿易業者が、朝鮮での事業に失敗した。またこの地域で事業を行うわずかなヨーロッパ人たちは、自分たちが輸入する商品に対する銀貨支給や現物支給の方法が難しいと不平を言っている。(p. 82)

그러더니 평안감사는 갑자기 대화를 바꾸어 곳체 박사와 조선 정부와의 관계라든가 그의 여행 목적에 관해서 물었다. 그리고 그와 같은 뜻으로 평안도의 자원, 무역, 인구 등에 대한 질문을 들으면서 나는 매우 괴로웠다. 그는 나의 여행 목적에 대해 경계하는 눈치였으며 예의에 벗어난 모습을 보이면서 자신의 국가의 모든 것을 비방했다. 그는 어떤 무역의 존재도 인정하지 않으려 했다. 그의 말에 따르면 대동강도 운항에 아무런 쓸모가 없으며, 광산들도 가치가 없다며 거의 3,000년의 역사를 가진 이 도시에 관심을 둘 만한 것이라고는 하나도 없으며 도자기, 청동 등 어떠한 상품도 구매할 가치가 없는 것들이라고 그는 말했다.
ところが平安監司は突然話題を変え、ゴッチェ博士と朝鮮政府の関係や彼の旅行目的について尋ねた。そしてそれと同じように平安道の資源、貿易、人口に対する質問をあげ、私はひどく苦しかった。彼は私の旅行目的に対し警戒している様子で、礼儀にもとることを言い、自分の国のあらゆることを非難した。彼はいかなる貿易の存在も認定するまいとした。彼の言葉によると、大同江もまったく運行に耐えず、鉱山も価値がなく、ほとんど3000年の歴史を持つこの都市には関心に値するものはひとつもなく、陶磁器や青銅等のいかなる商品も購買する価値がないと言った。(p. 120)

관찰사(觀察使)가 나를 찾아와 오랫동안 머물면서 내가 가지고 있는 이국적인 물건들에 많은 관심을 보였다. 그는 특히 서양 가죽 제품의 뛰어난 솜씨에 놀랐고 그것이 사용되는 용도의 수를 거의 믿으려 하지 않았다. 그는 가격에 대해 물었고 내가 그에게 보여 준 조그만 물건들의 가격에 몹시 놀랐다. 마침내 그는 억누르고 있었던 느낌을 말했다. 「조선은 매우 가난한 나라입니다. 조선에는 돈도 제품도 없습니다. 우리는 외국 물품을 살 만한 여유가 없습니다.」 물론 나는 그에게 조성의 무역을 발전시킬 수 있기를 바라는 인상을 주었다. 그러나 그는 내가 말한 것에 거의 관심을 두지 않고 다소 침울한 채 가 버렸다.
観察使が私を訪ねて来て長いこと居座り、私が持っている異国的な品物に強い関心を見せた。彼は特に西洋の革製品の際立った仕上がりに驚き、それが使われる用途の数をほとんど信じようとしなかった。彼は価格について尋ね、私が彼に見せてやった少数の品物の価格にひどく驚いた。最後に彼は押さえつけていた感情をあらわにした。「朝鮮はひどく貧しい国です。朝鮮には金も製品もありません。われわれは外国製品を買うだけの余裕がありません。」もちろん私は彼に朝鮮の貿易を発展させられることを願うという印象を与えた。しかし彼は私の言うことにほとんど関心を見せず、多少沈鬱な様子で出て行った。(p. 125)

모든 조선인들이 정중하지만 현령의 태도는 보다 더 정중했다. 그가 나를 위해 준비한 방은 기분 좋을 정도로 깨끗했으며, 그는 나에게 좀더 머물라고 간곡히 권유했다. 그러나 좀 오래 머물기에는 일정이 너무 많이 지체되었다. 그는 내가 자신의 관할 구역 내에 있는 동안 자신의 몸종과 동행하라고 권했으며 많은 다정한 말로써 나의 여행을 독려했다.
すべての朝鮮人は鄭重だが、県令の態度はさらに鄭重だった。彼が私のために用意した部屋は、気分がよい程度に清潔で、彼は私にもう少しとどまるよう鄭重に勧めた。しかし少し長くとどまるには、日程があまりに多く遅滞していた。彼は私が自分の管轄地域内にいる間、自分の小間使いと同行するよう勧め、多くの真情あふれる言葉で私の旅行を督励した。(p. 140)

의주에서 우리가 출발하는 날에 3개월에 한 번씩 열리는 시장이 열렸다. 상당한 수의 사람들이 이미 도시에 모여 있었고, 다른 사람들은 다른 길로 오는 중이었다. 그러나 나는 시장에서 기념품으로 가져갈 만한 것을 찾지 못했다. 나는 서울 근방에 있는 것들에 훨씬 못 미치는 가축들에 크게 실망했다.
われわれが義州を発つ日に、3ヶ月に1度開かれる市場が開かれた。相当な数の人々が既に都市に集まっており、他の人々は他の道から来る途中だった。しかし私は、市場で記念品として買って行くほどの物を見つけられなかった。私はソウル近郊にいるものよりずっと劣る家畜に大きく失望した。(p. 151)

강계에서 인상적이었던 일은 현감의 수행원 중에 여성들이 있었다는 점이다. 내가 답례로 그를 방문했을 때 그는 단지 몇 명 안 되는 남자 수행원만을 데리고 있었다. 일반적으로 조선의 관아에서 일하는 소년들은 한 사람도 없었지만, 얼굴을 가리지 않은 대여섯 명의 여성들이 있었다. 내가 더욱 당황한 것은 그가 그들의 미모를 어떻게 생각하느냐고 나의 의견을 물었다는 점이다. 그 소녀들은 현감 자신만큼이나 나의 답변을 듣고 싶어하는 것처럼 보았다. 다행히 그들의 모습에 대해 좋게 말하기란 쉬운 일이었다. 왜냐 하면 그들은 키가 크고 몸집이 우아했을 뿐만 아니라 그들 스스로도 몸을 잘 관리했으며 천연두 자국이 없었기 때문이었다. 그들은 분명히 내가 보았던 조선의 여성들 가운데서 최고의 미인들이었다.
江界で印象的だったのは、県監の随行員の中に女性がいたという点だ。私が答礼で彼を訪問したとき、彼はごくわずかな男子随行員しか連れておらず、一般的に朝鮮の官衙で働く少年たちは一人もいなかったが、顔を隠さない数人の女性たちがいた。私がさらに驚いたことは、県監が彼女たちの美貌をどう思うかと私に意見を尋ねた点だ。その少女たちは、県監自身と同じくらい私の答えを聞きたがっているように見えた。幸い彼女たちの器量について良く言うのは簡単だった。なぜなら彼女たちは背が高く体躯が優雅であるのみならず、彼女たち自身が体をよく管理しており、天然痘の痕もなかったからだ。彼女たちは明らかに、私が見た朝鮮の女性たちのう

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